「――スマン!」
「……は?」
岡野コウジは、くわえたストロ?をアイスコ?ヒ?のグラスに突っ?んだ格好のまま、あっけに取られて顔を上げた。
眼前では、藤田シンがテ?ブルに?手を突き、苦行僧のような表情で卓上の灰皿を?んでいる。
「マジ、スマンかった!」
シンは再び叫ぶと、今度は頭を猛烈な勢いで降下させた。
ゴチンという音とともに額がテ?ブルに衝突し、カランという音とともにグラスの中で氷の山が崩れた。
木曜の午後一時、JR?鴨?近くの喫茶店の?まったテ?ブル席である。
コウジは、自宅でパソコンをばらして荷造りしていたところを、電話でシンに呼び出されたのだった。
休日でもなんでもないバリバリのウィ?クデイの??間であるがゆえに、店?の客はほとんどがショッピング中のマダムか近くのオフィスのOLである。
そんな中、色褪せたTシャツにジ?ンズ姿、長?と無精ひげをだらしなく伸ばしたコウジとシンはただでさえ異質だったが、シンの大?によって周?からさらなる奇異の目が注がれた。
「お……おい、大?を出すなよ!」
ストロ?から口を離し、コウジは低く言った。しかしシンは、珍しく日中に外出したせいで充血?味の目を眼鏡の?でさらに血走らせ、なおも叫ぼうと口を開ける。
「わかった、わかったから! 何がスマンのか、まずそれを言え」
コウジの?に、シンはぱくんと口を閉じ、しばらく言葉を?すように硬直していたが、そのうち再びテ?ブルに頭を落とした。
その伏せられた顔とテ?ブルの間から、ボソボソした?が流れ出した。
「カネ、スられた」
「――はい?」
「部屋の契約料、36万、銀行でスられた」
「――ンだとおおおぉぉぉぉおお!?!?」
先刻に倍する音量でコウジの絶叫が店?に轟き渡った。
コウジとシンは、フリ?の「オブジェクト屋」である。正確には、昨日の夜19時からそうなった。
バイト先のコンビニの店長が、コウジの表明した?意を「ふうん」の一言とともに、カケラほどの慰留もなく受けいれたときから、二人は晴れてフリ?ランス――もしくはその日暮らしの身となったのだ。シンは三日前に同じくVRカフェの店員を?めていた。
オブジェクト屋、とは、その名のとおり3Dオブジェクトデ?タを作成して販?する生業だ。主な、というより二人の場合は100%、クライアントはVRMMO運??である。
すこし昔は、バ?チャルMMOゲ?ム?で使用される、キャラクタ?、アイテム、地形などのデ?タは、企業?部のデザイナ?が作成するのが普通だった。外部に委託する例もあったが、請け負うのは?門のデザインスタジオで、アマチュアに毛が生えたようなフリ?の3D屋の出る幕は無かった。
その?況が?わり始めたのは、今年の2月――約八ヶ月前に、「ザ?シ?ド」と呼?する完全?利フリ?のVRMMOパッケ?ジが出回り始めてからである。
誰でも、企業でなく個人でも、わずかな元手で本格的なMMOゲ?ムサ?バを立てられるとあって、半年でゲ?ム世界は恐ろしい?にまで?殖した。もはやその??は推し量るのも困難だが、ユ?ザ?の?加率にも限界はある。やがてゲ?ム世界は否?なく淘汰されていくことになる。
ゲ?ムシステムの根幹が共通である以上、ユ?ザ?の興味を引き?けるには、かなりの部分を見た目の斬新さに?らなくてはならない。つまり、世界、キャラクタ?などのオブジェクトデザインが重要となってくる。
?然のように、外注を受けているデザイン?社には注文が殺到し、パンク?態となった。それに企業のデザイン料は非常に高額であり、小規模なVRMMO運??にはおいそれと?えるものではなかった。
そこで――コウジやシンのような、アマチュアの3D者にも、オブジェクト作成の依?が舞い?むようになったのである。
??の依?をぽつぽつこなすうちに、二人の作るオブジェクト、特に女の子のモデリングがそこそこの人?を博するようになった。
しばらくは、バイトとオブジェクト作成の二足のわらじを?けていたが、そんなある日、中規模のVRMMO運??から思いも寄らぬ大規模な注文が?た。
新しく立ち上げる「萌え重視MMO」のデフォルトキャラクタ?として使用される、美少女モデリングを20種80パタ?ン、大急ぎで作ってくれというのだ。
とても、バイトの片手間にこなせる量ではなかった。二人は、一度は?ろうとしたのだが、先方の提示してきた着手金は、フリ?タ?の身にとってはあまりにも魅力的な額であった。
一?夜に及ぶ、ビ?ルとスナック菓子片手の議論の末。
二人はアルバイトをすっぱり止め、?業のオブジェクト屋としてのれんを上げることに決めたのだった。
そうなると、二人がそれぞれ借りている古アパ?トの六?間ではいかにも手?である。
本格的なレンダリングマシンも欲しいし、高速大容量回線も引かなくてはならない。
もはや、お祭り?分の二人を止めるものは何もなかった。前金を全額つぎ?んで事務所を構えることが五分で決定した。
最新最高速のパソコン(自作ではあるが)二台。
プロユ?スのスキャナに、6ドラムのカラ?レ?ザ?プリンタ。
それらを?める、8+4.5+4.5帖のマンションの一室。
通帳の?高は一瞬の急上昇と急降下を繰り返すこととなったが、二人は?にしなかった。
そしていよいよ、荷造りもほぼ終わり、不動産屋と本契約ののち、?日後には引っ越し――ということになった、この秋のうららかな?下がり。
コウジは相棒に呼び出され、衝?的な告白を聞かされたのだった。
「スられた……って……ちょいとお前さん……」
コウジは衝?による機能停止から?秒で回復し、どうにか口を動かした。
「一?、どういう?況で……」
「いやぁ~」
シンは頭をぽりぽりかきながら、?ろな笑みを浮かべる。
「下ろした札を封筒に入れたとこで、隣のATMにいたおっさんが小?ぶちまけたんだよねえ」
「……ほう」
「?嗟に封筒を尻ポケットに入れて、小?拾うの手?って、銀行から出たら……ポケットが空ッポ」
「……ほう」
「落としたかな?と思って?っても無い。おっさんもいない。反?側のブ?スにいた男もいない。そこで、ああ?これはひょっとして?だったのかと」
「……ほほう」
コウジはとりあえず右手を伸ばした。
「このあほう!」 ビシッ!「このあほう!」
ビシッ!
シンの異常に?い額に二回突っ?んでおいてから、がぶりとコ?ヒ?を?り、ぼりぼりと氷を?み?く。
「……そんな?世紀の手口に引っかかったことはとりあえず置いとくとしてもだ。なんで今時リアルマネ?なんか持ち?こうとするんだお前は!?」
「いやぁ~、不動産屋のネット口座と暗?鍵を端末に落とし忘れてさ……。それに、三十万なんて現金見たことないし、ネタ用に??撮っとこうと思ったのよね」
「その?持ちはわからんでもないけどなぁ。……ポリスには?」
「行った行った。監視カメラの動?から手配するって言ってたけど、あのおっさんえらいでかい?わら帽子にグラサンだったからなぁ……」
「その時点で充分あやしいだろうが!!」
もういちどおデコにぴしゃりとやる。次いで、?手で自分のぼさぼさの?の毛をばりばり?き?る。
「あ~~~~もうどうするんだよ!?」
「どうすんべえ……」
「お前、どっか借金のアテある?」
コウジの問いに、シンは?手の人差し指を交差して首を振る。
「一万二万ならともかく、三十六万はそもそも持ってる知り合いがいないし。コウは?」
「あったら聞かん」
「そりゃあそうだ。ハハハ」
「…………」
コウジは深く長いため息をつくと、背もたれに?を預け、天井を見上げた。
頭の中にカレンダ?を?げ、今後の予定を確認してみる。
「……ええと、今の部屋に居られるのがあと二日だろ……。先方に最初の素?を渡すのが十日後……」
「あれだ、依?を全部片付けりゃ完了金もらえるじゃん」
「ほ~~……。余裕ですな、言うことが」
コウジは最大限にジトっとした視線をシンに浴びせた。
「依?を完了するには、オブジェクトを一杯つくんなきゃならないの。そのためには、パソコンが動かなきゃいけないの。明後日、部屋を追んだされたら、一?どこにパソのコ?ド差す?なんだよ!?」
シンは完全に氷の溶けたレモンスカッシュをずるずるすすり、しばし?考した。
「……ネットカフェのパソで作ったらどうかな……」
「CPUが?い、メモリが足らん、そもそもアプリが入ってない」
「……そんなに冷たい?アンド顔で言わなくても……。シンちゃん悲しい」
?い額に丸眼鏡、小さな目におちょぼ口のシンが?手を握ってシナをつくる仕草は、コウジに風呂が沸きそうなほどの殺意を?成させた。首を締め上げようと無言で伸ばした?手から、シンがあわてて身を引く。
「わあ、イッツジョ?クイッツジョ?ク! 怒ってないでコウちゃんも何か考えようよ」
「その呼び方はやめろ。……パネルPCくらいなら、抱えて誰かの部屋に?がりこむのもアリだけどなあ……。フルタワ?二台はさすがになあ……」
二人が新調したパソコンは、最近主流のMRAM副記憶?置ではなく、??のハ?ドディスク?ドライブ四台でアレイを組んだ仕?である。コスト?記憶容量比は文句ないが、恐ろしく??が大きく、おまけに過?搭載したク?リングファンとあいまってハリケ?ンのごとき?音を?する。とても居候先で稼動させられるような代物ではない。
?天?なシンもいよいよ事態の深刻さが?み?めてきたらしく、??な顔で氷の溶けかかったグラスを?んだ。
「……要は、どっかにロハで使える、速くて『ナイザ?』が入ってるマシンがあればいいわけだ。……?校……公共施設……ええと……」
「マシンパワ?はともかく、『ナイザ?』なんて特殊なソフトが入ってるパソコンはどこに……も……」
言いかけて、コウジは口の動きを止めた。
記憶の底に、最近どこかで見たデスクトップの映像が甦ってくる。
自分のマシンのものではない?い無機質な壁紙の上に、?多なアイコンに混ざって、3Dモデリング支援ソフト『ソリッドオ?ガナイザ?』のロゴマ?クが浮かんでいる。
しかし、デスクトップは、それを表示しているはずのモニタ?置を含めて半透明に霞んでいる。まるでモニタそのものがホログラムででもあるかのように。なぜなら……あのデスクトップを見た場所は……
「……ある」
「へ?」
「ある。ナイザ?が入ってて、自由に何時間でも使えるマシンが」
ぼそりと?いたコウジの言葉に、シンは小さな目を丸くした。
「ど、どどどこに!?」
「月」
「――ハァ?」
「月面上」
「……コウちゃん、ショックでお?の調子が……」
「ちがう! コペルニクス?シティだよ。『ルナスケイプ』の」
「……………………」
シンは、おちょぼ口をぽかんと開けて停止した。
『LUNASCAPE』は、二人がここ一年ほどハマっているVRMMO-RPGゲ?ムだ。月面を舞台にしたスチ?ムパンク風味の世界?がウリで、オ?ソドックスな?と魔法のファンタジ?世界が多いVRMMO連結?『帝?』の中では最もSF的な舞台設計となっている。
「ほれ、二ヶ月くらい前にクエストやったろう。コペルで行方不明のルナリアンを?すっていう……」
「あ?あ?。あの地味な割には面倒で報酬の少ないヤツ」
「途中で、どっかの酒場の端末でミニゲ?ムをしたろう」
「勝ったらメッセ?ジが出てくるやつな。ありゃあムカついたよなあ……コウが切れて暴れてなあ……」
「暴れたのはお前だ! シンが負けて怒り狂って、キ?ボ?ドを?打したら、いきなりゲ?ムが終了して……」
「あ?、あんときゃアセったよねえ。なんかデスクトップ表示になってさ」
その時は二人ともGMが?るかとビビって逃げ出し、翌日同じ場所に行ったら元通りになっていたのだが……。
「つまりだ」
コウジは、シンの?いオデコに向かって言った。
「あの端末は、クエストのミニゲ?ム?用に組まれた?想オブジェクトじゃないんだ。運?側の、?在するコンピュ?タでゲ?ムアプリを走らせて、それをあの酒場につないでるだけなんだ」
「ほへえ?、手?きと言うかなんと言うか……」
「多分、ゲ?ムアプリをロックするのを忘れてるんだろうな。まあ、ルナスケを運?してるのはちっちゃいベンチャ?だからな……。ともかくだ、俺は見たんだ。ゲ?ムが終了したあとのデスクトップに、ナイザ?のアイコンがあった」
「……てことは……あの端末を使って……?」
「ああ。ルナスケのなかで仕事をしよう。それしかない」
「ば、バレないか?」
「そんときゃそん時だ」
そうと決まってからの行動は早かった。
二人は今まで住んでいた部屋を引き?い、コウジのおんぼろバンに積めるだけの荷物を積んで、家具のたぐいは全て?分した。注文していた周?機器の配達はストップした。
その上で、二帖一間?風呂トイレ炊事場共同?築四十八年で月二万敷?ナシ?入居可能という凄まじい物件を借り、まさに「アミュスフィア一丁」という出で立ちで新居に?り?んだのである。
タタミ二枚に押入れひとつという極限空間は二人を絶句させたが、とりあえず必要なのは?たわるスペ?スだけだ。部屋に引かれた唯一のライフラインである?いコンセントにアミュスフィアのプラグをブチ?み、ル?タを介してネットに接?した携?端末に?ぎ……それで、オフィスの完成だった。
煙草のコゲ跡が無?についた茶色いタタミにエア?マットを敷き、金?リングを?着した二人はごろんと?たわって同時に叫んだ。リンク?スタ?ト……ネットにさえ?がれば、現?世界の?などどこに在ろうとこの際問題ではなかった。
「??のハッカ?、ボ?パルバニ?の組んだゲ?ムに挑?しようってのかい。身の程知らずな野?だ」
月面?コペルニクスシティの最下層、パイプと?板の入り組んだ路地のどんづまりに存在するうらぶれた酒場のマスタ?NPCは、店の?に二台?んだ端末の前に座ったコウジとシンに向かって言った。
「へっ、あんなゲ?ム二度とやるかっつの……」
シンは毒づきながら、無骨な金?製のキ?ボ?ドの、Ctrl、Alt、Delキ?を同時に叩いた。予想通り、ホロディスプレイに表示されていたゲ?ムアプリが終了し、世界?にそぐわない、生?しいデスクトップ?面が出現する。それを確認し、コウジも自分の前の端末のキ?を叩く。
店には、プレイヤ?の客は一人として居らず、またドアが開く?子も無かった。?該クエストがすでに期間終了しているのだから?然と言えば?然だ。酒場ごと消えている可能性もあったが、幸いそこまで手が回らず放置されているらしい。
「おっ、あるある。ど?れ、ナイザ?起動……と」
シンが、チタンのように鈍く輝くマウスを操り、クリックすると、見慣れた『ソリッドオ?ガナイザ?』のパレット類がぱぱぱっと多層表示された。
「さすがに速いな。メモリも多い……これなら……」
自分の前のホロ?面を眺めて、コウジは?いた。
?想の右手――?備していた?甲グロ?ブは?いである――を?想のマウスに、左手をキ?ボ?ドに置いて、ちらりと?を見る。シンと深く?きあい――
「さて、始めるか!」
二人は?きまくった。
腹が減れば、酒場のマスタ?が提供する怪しげな月料理を詰め?んで誤魔化し、眠くなれば店のソファ?に倒れこんで?眠を取る。
現?世界に?還するのはせいぜい日に1~2回。回避不可能な生理現象の解消と、大量に買い?んだブロック?養食の?取を短時間で?ませ、再び?想世界にダイブする。
「この??スタイル、案外?くないな」とシンは言ったものだ。
現?世界では五時間もモニタを?んでいれば、眼は痛むし肩は凝るし腰は軋む。ついリフレッシュと?してベッドに?がり?み、そのまま睡眠モ?ドに入るか、アミュスフィアを被って別世界へ逃避してしまうことになる。
しかしそもそもゲ?ム?に居れば、もうどこへ逃げようもない。睡眠だけは止むを得ないが、これも意外や、五感を遮?したままの眠りは高?率で、4時間も?になれば完全なリフレッシュ感?を得ることができた。
そのようにして二人は作業に?頭し?けた。?想のモニタには次?に麗しい少女の立?像が生成され、不?占?中の記憶?置に保存されていった。十日間が?過した。
――そして。
「……終わった……? 終わったと言ってくれ……」
シンはうめきながら椅子の背もたれに?を預けた。
コウジは?重にマウスを操り、?面?で疾走している精緻な3Dモデルを回?させた。全包?から詳細なチェック。
「……よし、OKだ」
「………………」
シンはがばっと立ち上がり、?手を突き上げた。
「……ッシャァァァッ!」
再びどすんと椅子に倒れこむ。
「……まず?湯に行くぞ……そして本物の飯……にくにくにくさけさけさけ」
錯?したようにぶつぶつ?くシンの言葉に、今度ばかりはコウジも同感だった。通常ならば一ヶ月……いやそれ以上ゆうにかかろうという作業を、VRワ?ルドで?縮して無理やりこなしたのだ。?細胞が一割ほど死滅していてもおかしくない。
煙を上げる?肉のリアルな幻?に目眩を?えながら、コウジは最後のモデルをセ?ブし……
そこでぴたりと動きを止めた。
「……おい、どうしたんだよ。はやいとこ?ろうぜ」
シンが言ったが、コウジは動かない。いや、動けない。
「………………」
「なんだってんだよ。さっさとデ?タを……」
そこでシンも口を止めた。
「………………デ?タを…………どうやって、現?に持ち?るんだ…………?」
その疑問に?する解答はどこからも得られなかった。
コウジとシンは顔を見合わせた。
「どうした若いの。お手上げかい?」
酒場のNPCマスタ?の胴間?が、空しく店?に響いた。
(オワリ)